2004年07月25日

佐々木塩介の格闘!男闘呼塾「RINGS(1991〜2001)歴史編」

タカチェンコ:今回は、PRIDEのルーツでもあるリングスについて塩介さんから教えてもらいましょう!歴史編と前田編の二回に分けて掲載します。この熱き文書を心して読んでくれっ!

現在PRIDEが世界的に浸透し、世界各地の強豪が頂点を目指して闘っているよね。 PRIDEを振り返ってみると、それは日本で始まった格闘技イベントで、その開催に至るまではUWF分裂後のUインターリングス藤原組の存在がなくては現在のPRIDEは存在し得なかったと言っても過言ではないんだよ。

プロレス最強を証明するためにヒクソンと闘った高田延彦、プロレスとは違う格闘技として実戦的なサブミッションを日本人に伝授した藤原喜明、そしてPRIDEなど総合格闘技で現在活躍しているファイターを発掘した前田日明・・・
これら3つに分かれた線が、実は今一本につながっていたんだよ!!
そこで、今回は格闘家発掘に貢献した前田日明率いるリングスを軽ぅ〜く振り返ってみよう!

UWFが分裂し、前田日明がたった1人で旗揚げした団体「リングス」・・・
旗揚げ興行はエキシビジョンマッチとミット蹴りのみで試合は行われなかったんだよ。
初期には正道会館が正式参戦し、92年に長井vs.佐竹雅昭が行われたんだよ。正道会館館長の石井和義リングスとの提携によってプロレス的興行のノウハウを学び、これがのちのK−1へとつながっていったんだね。
試合形式では実験的な試みがたくさん行われたんだ。キックボクシングや中量級の試合、93年には総合格闘技vs.空手の変則的ルールでの試合とか・・・。また、バーリトゥードの出現に伴って、96年には柔術系の格闘家ヒカルド・モラエスが参戦したんだよ。

旗揚げ当初は真剣勝負を売りにしていたんだけど、結局リングスもプロレスの粋を超えることはなかなかできなかったんだ。日本人などの身内同士の闘いにはワーク(=プロレス的に言うと八百長だね)、外部の外国人による闘いはシュート(=こっちは真剣勝負ってことかな)というようにシュートとワークが混在し、そのことがリングスを閉鎖的にしてしまった・・・つまり、原理主義的格闘技ファン(=例えば、極端に言うと初期UFCが大好きなファンのことだよ)を取り込むことができなかったんだ。

しかし、1999年リングスは今まで越えることができなかった一線をとうとう超えてしまったんだ!!『KOKトーナメント』の開催!この瞬間にリングスはプロレス団体からシュート団体に生まれ変わったと言えるんだね。ちなみに出場メンバーはノゲイラ(ミノタウロのほうだよ)、ヘンダーソンヴァレンタイン・オーフレイム山本宣久金原弘光イリューヒン・ミーシャ田村潔司アンドレイ・コピィロフなどなど・・・現在も総合格闘技で活躍するビッグネームたちばかりだったんだ。
けど、リングスの浸透度は低かった。その原因は「今日から全ての試合がガチンコだよ!」とマスコミに発表できなかったからなんだ。旗揚げ当初からガチンコを売りにしてきたことがここで大きな壁となってしまったんだね・・・んで、2001年にとうとう活動が休止されちゃったんだ。

以上、ほんとに軽く振り返ってみました(笑)・・・こんなんでいいのかな??
んじゃ、おまけにリングスの開祖・前田兄さんの半生をたどってみましょう。

つづきは近日アップ予定の「RINGS(1991〜2001)前田編」で!!!
RINGS 1991-2002

リングス創立10周年記念総集編〜RINGS 10th ANNIVERSARY〜






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